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オナベ研修医の備忘録

第111回医師国家試験に合格した4月から研修医のオナベ。ノンケ社会での生きづらさ、マイノリティな人生の受け入れ方、その他考えたことを残していきたいです。

メディアの中の“LGBT”

 

 

「こんな時代になったけど、生きづらい?」

 

 

 

先日、転居に伴って新しい精神科を受診してきました。

といっても、前医は性別違和そのものに対して何かするわけではなく、それによる気分的な波がしんどいこともあり、断続的ですがポリクリ中や国試前のストレス負荷時に通院していました。

 

前医の先生は大学の先生であったこともあり非常に話しやすく、何よりセクシャルマイノリティーに対する偏見のない人?であったことがとても心地よかったように思います。

 

精神科には様々な背景を持った患者さんがいらっしゃいます。

そこに偏見も何もないように思いますが、やはりセクシャルマイノリティーというのは一般的には差別や嘲笑の対象であり、正しい理解には程遠いのが現状ではないでしょうか?

そんな孤独感を抱えた中での前主治医との出会いというのは、自分を偽らずに素直に感じたことを話せる唯一の居場所みたいなものでした。

 

そんな中で、6年間住み慣れた土地を離れて環境もがらりと変わり、4月からは新社会人という社会的な面でも大きな変化を迎えます。

残念ながら私は「新たな環境や人間関係に期待!!」出来るような人生順調マンタイプの人間でもないため、不安とストレスに押し潰されないか今から既に不安です…

特に、セクシャルマイノリティーとしての自分を認めてもらえる人や場所は近くになく、その点にとても不安を感じています。

 

そこで、先日新しい精神科を受診してきました。

冒頭の言葉は新しい医師に出会って初っ端に言われた言葉です。笑

というのも、前医の配慮もあって診療情報提供書があったので、私のことや悩みについて大まかに理解してくれていたみたいです。

とても優しそうで話しやすそうな、穏やかな雰囲気に安心しました。

 

しかし、やはり冒頭の言葉には違和感を感じざるを得ませんでした。

これがノンケと非ノンケのギャップでしょうか?

確かに、昨今では多くのメディアで“LGBT🏳️‍🌈”や“セクシャルマイノリティー”という言葉が用いられ、タレントとして出演される方も増えてきています。

LGBTセクシャルマイノリティーという言葉が広く知られ、その言葉の意味する人々や、彼らが置かれている現状について正しく理解されることは我々非ノンケにとって大変嬉しいことです。

 

ですが、実際はどうでしょうか?

“オネエ”や“オカマ”、“ホモ”等の差別的な意味を含み、嘲笑の対象として扱うような表現があまりにも多くないでしょうか??

そりゃ、ただの(というと語弊がありますが)一般的な男性的な容姿・話し方・服装をした、男性が好きな男性(所謂ゲイ)がテレビに出ていても特別面白くないというのは何となくイメージ出来ます。

しかし、だからと言って本来のゲイやMTF(male to femaleの略。男性→女性としての生き方を望む人)の方の間違ったイメージを植え付けかねない、故意に(もっと言えば悪意を持って)ネガティブな演出をしてもいいのでしょうか?

 

そんな誤ったイメージが蔓延する現状では、非ノンケの我々が堂々と胸を張って「実は私、女だけど自分のことを女だと思えなくて〜」だとか「俺、どうしても男のことしか好きになれなくて」なんて言えるでしょうか?

せっかく勇気を振り絞ってカミングアウトしてきてくれた友人であっても、差別や嘲笑の対象として刷り込まれてきた結果、彼らを平気で傷付けてしまうことになりかねないのです。

 

確かに“LGBT”や“セクシャルマイノリティー”という言葉は爆発的に広まりました。

しかし、本当に大切なのはその言葉の正しい理解です。

セクシャルマイノリティーの人の多くは『こんな時代』になった今も、ノンケに擬態し、周囲の心無いマイノリティー差別の言葉にいやいや同調して笑い、結婚・挙児の圧力にうんざりしつつもどこか後ろめたさを感じつつ、将来に不安を感じて生きています。

 

今、映画館で映画が始まる前にこのブログを書いている私だって同じです。

今日は久しぶりにゲイの友人と会ってきます。

合格祝いと称した飲み会の今回の議題は『友情結婚』かな?笑

 

少しでも早く、マイノリティーの人々が本当の意味で自分らしく生きられる日が来ますように🏳️‍🌈